勺の記録

メモ

高校受験の思い出

    高校受験について振り返る。学年主任や担任はあたかも、勉強は大変と行っていたが、全国的に見れば、公立高校の40%は定員割れを起こしてるらしい。ソースはこちら。

全国の公立高校 40%超が定員割れ 教育の質に影響も | 注目記事 | NHK政治マガジン

驚いた。それは、さておき、私は、高校時代で大きく失敗した。その原因となった高校選びと受験について書いていく。

 

 

中学1年

    1年のまだ4月で中学入りたての時、やんちゃしてるような(ヤンキーってほどでは無い)人達が、作文が書ければ、○○工業高校に入れると言ってるのを聞いて、将来の事を考えて偉いなと思った。私は何も考えてなかった。

 

中学2年

   夏休みに某地域密着型の塾にお試しで通った。先生が、金正恩に似てた。30歳の誕生日だとか言ってた。他にもテンションがイカれてる先生もいた。その人は今思えば大学生だったんだろうなあ。そこには、結局お試しで終わる。判定付きの実力テストっぽいこともやったけど、興味がなくて全く覚えてない。

今思えば、親としてはこの頃から、付属高校に入れることが視野に入っていたのだろう。

   3学期になると、公立高校のが廊下に貼り出されるようになった。それぞれ、場所と何科かと人数や男女比、部活などが書いてあった。私は単純なので、偏差値的に行けそうな所に行こうと思ってた。進研ゼミの実力テストで偏差値を知れていたのは良かった。

    

 

1学期(4~7月)  

 

   進研ゼミの問題集を端から端までやろうとした。そもそも、勉強のやり方がいまいちわかってないんだからしかたない。定期テストの前もどうしていいか分からなかった。学校から与えられた課題をやるのが精一杯だった。

     志望校は決まってないけど、勉強しておこう。公立高校で、頭のいい所に行けたらいいなと考えてた。具体的にいうと実力+15の偏差値の所に行きたかった。母に、公立ならここだけど、私立ならどこがいい?と聞かれた。子供ながらに、志望校変えさせようとしてるな、と勘づいた。

   

 

夏休み

    「5科目のまとめ」を買って勉強した。偏差値が5~10くらい上がった。中でも、理社が得意だった。記憶が正しければ塾に通い始めたのはこの辺り。夜は危ないからと17:00から個別指導塾に行ってた。過保護だな。

    今思えば、親としてはこの頃から、付属高校に入れることが視野に入っていたのだろう。大学のパンフレットも取り寄せてあったな。

    

2学期(9~12月)

   いよいよ、志望校を決める頃になった。私は、近くて自転車で通える公立高校に行きたかった。が、親は大学付属高校(以下、A大学付属とする)に入れたいとのこと。A大学系列の高校見学も何校か行った。受かりそうもないのに。勉強が面倒だから、偏差値が低くても入れる同じようなランクの大学付属(以下、B大学付属高校)でいいと言った。見学はいつ行ったか覚えてないけどこの頃だったかもしれない。勉強したくなかった。

    11月には、進路希望調査票の志望校が保護者と子供の意見を一致させて書くことになっていた。親2人に圧力をかけられた。メリットとデメリットを書いた紙を渡され、こんなに進学実績が違うだのなんだの言われた。正直、勉強好きじゃないしさっさと働くかと思っていたし何も響かなかった。同じくらいの学力の仲良かった友達も高校出たら働くって言ってたし。ネットの掲示板を見始めたのがこの頃だった。ごはんを食べ終わったら、早くパソコンにさわれるが故に、そこでいいと諦めてしまった。批判的能力が備わっていないとはいえ、根負けしてしまったのは良くなかった。担任の先生も、理社ができるのに私立に行くとは思わなかったと言ってたなりで、B大学付属高校を第1志望に書いた。

 

冬休み

    模試の成績が下がった。全部DかEだった。ダメだこりゃと思った。12月頃から、父が勉強に口出ししてくるようになった。英単語を覚えろとか朝は8時に起きろだの言われた。普通に10時まで寝た。親の期待に答えたくないのかと聞かれた。そんなもん興味無いよ、と思ったが口には出さなかった。そして、1度も英単語を覚えることは無かった。

 

3学期(1~2月)

   ここに来てやっぱり行きたくないと言い出す。が、もう遅い。行きたくない行きたくない言い続けた。どうにもならなかった。母に、わざと落ちて近所の最底辺高校に行くのだけはやめろと言われた。私も、そこに行くのはしたくない。本当はどこに行きたいと聞かれたが、聞かれただけだった。やっぱり、どうにもならなかった。

 

受験直前期

    いやいや、面接対策をした。公立高校なら面接なかったのに。面接対策のための想定問答集を作った。志望動機がなかった。付属高校に入ると塾を辞められるからしかなかった。結局なんて言ったのか覚えていない。部活は写真部に入りたいと嘘をついた。そんなに強くもねえマイナー部にわざわざ入るわけねぇだろ。 

 

結果発表

    なんとかB大学付属高校に受かった。受かった時は嬉しかった。滑り止めは落ちた。B大学は蹴って国公立大学に行くだの調子に乗ってた。喜ぶのは、つかの間だった。何となく行きたくないなというのは心のどこかにまだあって高校生活でも尾を引くことになった。今でも高校選びは間違いだと思っている。